日本の教育に一石投じるブログ

高校教員に転職した元サラリーマンが学校教育に一言申したく候。

2時間目 教員志望の学生は教員になってはいけない

こんばんは。

 

教員になりたいという子供が後を絶たちません。大変喜ばしいことです。

しかしながら僕はそういう子に会うといつも「まず一般企業に就職してから教員に転職しなさい」と言っています。

僕自身、一般企業からの転職組なのでそう思うわけですが、なぜか教員一本の先生方もそういう意見の方が多いように感じます。

なので今日は僕が思う「教員になる前に一般企業を経験したほうがいい理由」について書いていこうと思います。

 

・・・・・・・

 

一般企業と学校現場の大きく違うところは、お客様に満足してもらってお金をいただくところがあるかどうかだと思っています。

資本主義社会においてほぼすべての仕事や企業というのは、誰かが必要としているものを提供することで成り立っています。なので誰も必要としていないものにはお金は支払われず、時間とともに社会から消えていきます。

逆に必要としている人にモノやサービスを提供して満足させることができれば、また次も使ってくれるし、お金をいただくことができる。

そして社会のあらゆることにお金が介在する以上、好循環を作るためにはお互いが感情的にポジティブでなければいけません。

 

この原則を前提とすると、学校の先生というのは子供たち本人が必要かどうかに関わらず、一般企業でいうお客様が常にいる状態にあります。

もちろん義務教育ではない高校や大学となると話は別なようにも思えますが、大学全入時代と謳われている昨今において、学校と名のつくところはどこも同じようなものです。

そして児童生徒や学生が校内生活に満足せずとも自分の給料は確保されるわけですから、いかに一般企業と比べて集客やイノベーションに力を入れなくても存続できる構造であるかがわかると思います。

 

使ってくれる人や来てくれた人に満足を与える必要がないのに自分の生活は保障されているとどうなるか?

それは「現状をよくしよう」となったときに顧客視点で考えられないので、どうしても自分たち中心に考えてしまい、結果として学校現場でよくある教員主導の構造に収束してしまうのです。

 

・・・・・・

 

学校の中にいると、明らかに生徒の立ち位置よりも教員の立ち位置のほうが高いように思います。

「生徒に〇〇させとこう」なんて会話が飛び交い、集合に遅れそうな生徒の群れを大声で怒鳴りつける。

この光景が社会一般からするといかに異様であるか。そしてその異様さに気付くためには学校の外に出なければいけない。

 

自主自立が叫ばれて久しいはずですが、学校現場で行われていることは昔とほぼ変わっていません。

新卒で学校現場に来た人たちは最初どうするか?

先輩教員の姿を見て育っていくんじゃないですか?

先輩の中には違った視点を持つ方もいるでしょう。ですが大多数の先生方と同じようなスタイルの教員が結局量産されることになる。

 

・・・・・・・

 

以上長くなってしまいましたが、学校現場を志す人にはぜひ一度社会に出ていろんな刺激を受けてほしいなと思います。

 

ではまた!