日本の教育に一石投じるブログ

高校教員に転職した元サラリーマンが学校教育に一言申したく候。

7時間目 与えられる子供と与えられない子供

与えられて育った子と、与えられずに育った子

 

どちらの子が、将来他人に「与えられる」人間になりますか?

 

考えるまでもないですよね。

 

しかし学校現場にもよりますが偏差値の低い学校ほど与える教育ではなく制限する教育を行っています。

 

では制限される教育を受けた子供はどうするか?

 

例えば、やりたいことを「やりたいことがあるならやるべきことをやってから言いなさい」と突っぱねられた子は、大人の目をかいくぐって何とかやろうとする。

そして大人に見つかって、さらに制限されることになる。

それが何年にもわたって規則だけが増え、息苦しい空間の出来上がり。

 

 

間違っているとは言わないが、それが何の解決になるのだろう。

本当に向き合わないといけないのは、子供たちの声なき声を拾うことなんじゃないだろうか。

 

与えすぎれば手の付けられない状態になるとみんなは言うが、本当にそうなのだろうか。

 

子供たちを信用しなくなって久しい学校からは以上です。

6時間目 親の英才教育を子供はどう思っているのか?

今日テレビで「世の中のいろんなパンドラの箱を開けてみよう」って番組がやってて

その中で、親の英才教育に対して小学生の子供はどう思っているのか、本音を聞き出してみようという中々突っ込んだことをやっていました。

 

学校から帰れば友達と遊ぶまもなく夜までひたすら練習。

親に言われてやることがほとんどだ、という子供たち。サッカーにポールダンスに卓球に。

 

そんな子供たちに最後「将来の夢は何ですか?」って聞くんだが

みんな口をそろえて「世界一になりたい」「FCバルセロナに入りたい」「オリンピックで金メダルを取りたい」と言う。

 

思うんだけど、小さいころから同じスポーツをやり続ける小学生の子供たちに対して将来の夢を聞いたとしても、それしかやってないんだからそう答えるしかないよね

 

一方子供の答えを別室にいる親は「安心しました」って顔で聞いてるんだけど、いやいや先のことはわからんよと。

 

まぁ子供に小さいころから一番を目指させるってのはあらゆる面で素晴らしいことであるのは間違いない。

きっとテレビに出てる親御さんだって、画面の外で計り知れないコミュニケーションをとっていることだと思う。

ただあの部分だけ見て真似をする大人がいたとすればまた危険だな~と思いました。

 

僕も子供にこれからやらせたいことはあります。

ただ子供とて一人の人間として接することをいつも意識したいです。大人の心構えとして。

 

声なき声を拾えるように、やりたいと言い出したことはやらせてあげられるように・・・。

 

 

5時間目 ハンコを押すために出社するとかどこの星の話だよwwwwwwwww

 

ハイ。学校です。

 

そろそろ成績を出す季節ではないでしょうか?

数十人分のテストの採点をいまだに手作業で行っている全国の先生方、お疲れ様です。

 

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この前こんな出来事がありました。

非常勤の先生にハンコを押してほしい書類があったので、本人にハンコをお願いしたところ

「ほかの学校の先生に頼まれてそっちにおいてきちゃいましたてへぺろ

とのこと。

しかしながら期日が迫っているため何とかできねえか、と。

 

結局非常勤の先生には、勤務日でもない日にハンコを押させるためだけに来てもらうハメになりましたと。

 

自分たちには関係ないと思ってたが、よくよく考えてみると学校なんて一般企業よりもハンコ文化多いじゃんね。

ことあるごとにぺったんぺったんしてますから。

最早人差し指の指紋を削り取って自分の名字掘りたいくらいですよね。

 

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冒頭少し触れましたが、業務のオンライン化や自動化に学校が追い付くのはまだまだ先の話だと思います。

だってそれを決めるの旧人類の人だもの。

自分が使えないものは「ややこしい、手でやったほうが早い」と片付けてしまう人が減らない限り、学校業務が一皮むけることはないでしょう。

 

まぁなんでもかんでもネットワーク化しなくても、仕組みを整えれば効率が上がる場面はたくさんあります。

そうやって少しずつでも手間が省ける快感を喜んでもらえればいいな。

そしていずれは業務に大変革が起きることを期待して!!

 

4時間目 奥歯にモノが挟まったような性教育

こんばんは。

学校に年に一回くらいは外部の講師の方を呼んで性教育や薬物やいじめなんかのお話をしていただくのですが、どうもその内容にリアリティが欠けていて、冷たい空気が流れるだけの時間になってんじゃねぇの?という思いを抱くペーペー教員です。

 

先週中ほどに例によって性教育の講義会があったのですが、何とも言えない後味だったので今日はそのことについて書きます。

 

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まず強調されていたのは「高校生のうちはセックスしなくていいんじゃない?」ということでした。

 

妊娠のリスク管理もままならないでしょ

そして望まなければ断ればいいんだよ

断れる勇気を持つんだよ

それでもヤってしまうときはコンドームつけるんだよ

コンドームつけない男とはヤってはいけませんよ

男の子は女の子と違って自分で性欲処理できるんだから女の子は遠慮なく断っていいんだよ

 

 

そうかもしれない。いや仰ることはおおむね正しい。

だがなんだこの空々しさは。

この話のどこにも体温が通っていない。

 

なぜならこの話には高校生の立場ではなく、はるか上空から大人の意見を降らせてるだけだから。

 

「セックスはまだやめとけ、でもやるならゴム必ずつけろ、いやなら断れ、重ねて言うが君らにはまだ早い」

 

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青少年期にセックスのことでやらかすとショックはでかい。立ち直れないほどの傷を負ってしまうこともある。

でもだからと言ってセックスを遠ざけることが子供を守る手段なの?

それはあまりにも対症療法すぎやしないかい?

避けるべきは悪いセックスであって、来る時のために良いセックスができるように心構えを学ぶことが大事なのでは?

 

愛する人と肌を摺り寄せ、体温を感じながら、「この人のためなら」という言葉にできないような感覚が全身に広がり、その感情を愛する人に伝えるべく持てるものすべてを使って愛を表現する

 

本来セックスってそういうもんでしょ。

 

大切な人とお互いを確かめ合うことの素晴らしさを伝えることこそが性教育でしょ。

 

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みんなが興味があることを学校はタブーにしてしまっている。

だから子供たちは自分で調べてやってみるしかない。そしてその中には性の暗い部分に迷い込んでしまう子がいる。

 

大人たちはもっと自分の言葉で性を語らなければならない。

 

これはいけないよ、と遠ざければ遠ざけるほど問題は根深くなっていく。

 

性というものを子供から遠ざけようとした結果が、昨今様々な問題に発展しているのでは?

 

ちゃんと教えてやろうぜ。

 

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セックスでやらかして悲しむ子供がいなくなればいい

全大人たちの願いです。

 

どうか問題の本質はどこにあるのか。

性に目を向けるべきは我々大人です。

3時間目 学校の中で一番いい場所は?

こんばんは。

個人的に学校の中で一番アツい場所。それは・・・

 

図書室」です。

 

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思い起こせば図書室なんて、はだしのゲンかいけつゾロリを読むだけの場所でしかなかった。

図書室の奥に行けば行くほど、だれが読むねん・・・という黄ばんだ本ばかり。

まさか大人になってその黄ばんだ本を借りる日が来るなんて!

 

僕はなるべく週一冊は本を読むようにしているのですが、図書室があるというだけでつい足が図書室へ向いてしまう。これは本を読む先生ならわかっていただけると思います。

しかも読みたい本があれば学校が買ってきてくれるというサービス付き。これは最高すぎる。

名著を読みたいけれど、新装版のちっちぇえ文庫版じゃなくてハードカバーで読みたい!!こういう希望を叶えてくれるのは学校の図書館ならではですよね。

僕はこれで念願の岡本太郎の「自分の中に毒をもて」をハードカバーで堪能できました。

そして自分で調べた限りではどこに行っても見つけられなかったユダヤ五輪の書「タルムード」を発掘できました。

あの幼少のころからシカトし続けていた埃臭い本の中にこんなお宝が眠っていたなんて。

 

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日常的に本を読む人でないと、読みたい本を探す楽しみはあまりない。

ましてや本を読む子供は圧倒的少数派。その中で古くからの文学やら哲学書なんて読む子は皆無に等しい。タルムードを読む子供なんかいたらその子は将来神になってしまう。

 

じゃあこの本たちって大多数の生徒には必要とされないままなのかっていう話になりますよね。せっかくの知層もったいないよねっていう。

 

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大人になって本を読むようになってから、明らかに知見が広がり、視座が高くなり、確実に脳が作り変えられた。

だから大人こそ本を読むべきだし、図書室の知にあやかって校内生活に活かすべきだと思っている。

僕は文系科目なので、それはもう本から得た知識を丸パクリの授業をしたりしますが、そうするとやはり生徒の「へぇーーーー」感は受けますよね。

もっと知りたい人は図書室でこれを読んでみろ、でトドメですよね。

まぁ実際にその本を借りるまではいかないことが殆どですが、そういう世界があるんだということを面白く伝えられるだけでも、価値はあるはずなんですよね。

 

ということで、図書室は学校の設備の中でもトップクラスなのでぜひ大人の人から使っていこうではないかというお話でした。

 

2時間目 教員志望の学生は教員になってはいけない

こんばんは。

 

教員になりたいという子供が後を絶たちません。大変喜ばしいことです。

しかしながら僕はそういう子に会うといつも「まず一般企業に就職してから教員に転職しなさい」と言っています。

僕自身、一般企業からの転職組なのでそう思うわけですが、なぜか教員一本の先生方もそういう意見の方が多いように感じます。

なので今日は僕が思う「教員になる前に一般企業を経験したほうがいい理由」について書いていこうと思います。

 

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一般企業と学校現場の大きく違うところは、お客様に満足してもらってお金をいただくところがあるかどうかだと思っています。

資本主義社会においてほぼすべての仕事や企業というのは、誰かが必要としているものを提供することで成り立っています。なので誰も必要としていないものにはお金は支払われず、時間とともに社会から消えていきます。

逆に必要としている人にモノやサービスを提供して満足させることができれば、また次も使ってくれるし、お金をいただくことができる。

そして社会のあらゆることにお金が介在する以上、好循環を作るためにはお互いが感情的にポジティブでなければいけません。

 

この原則を前提とすると、学校の先生というのは子供たち本人が必要かどうかに関わらず、一般企業でいうお客様が常にいる状態にあります。

もちろん義務教育ではない高校や大学となると話は別なようにも思えますが、大学全入時代と謳われている昨今において、学校と名のつくところはどこも同じようなものです。

そして児童生徒や学生が校内生活に満足せずとも自分の給料は確保されるわけですから、いかに一般企業と比べて集客やイノベーションに力を入れなくても存続できる構造であるかがわかると思います。

 

使ってくれる人や来てくれた人に満足を与える必要がないのに自分の生活は保障されているとどうなるか?

それは「現状をよくしよう」となったときに顧客視点で考えられないので、どうしても自分たち中心に考えてしまい、結果として学校現場でよくある教員主導の構造に収束してしまうのです。

 

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学校の中にいると、明らかに生徒の立ち位置よりも教員の立ち位置のほうが高いように思います。

「生徒に〇〇させとこう」なんて会話が飛び交い、集合に遅れそうな生徒の群れを大声で怒鳴りつける。

この光景が社会一般からするといかに異様であるか。そしてその異様さに気付くためには学校の外に出なければいけない。

 

自主自立が叫ばれて久しいはずですが、学校現場で行われていることは昔とほぼ変わっていません。

新卒で学校現場に来た人たちは最初どうするか?

先輩教員の姿を見て育っていくんじゃないですか?

先輩の中には違った視点を持つ方もいるでしょう。ですが大多数の先生方と同じようなスタイルの教員が結局量産されることになる。

 

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以上長くなってしまいましたが、学校現場を志す人にはぜひ一度社会に出ていろんな刺激を受けてほしいなと思います。

 

ではまた!

 

1時間目 元サラリーマン学校教育に参入

初めまして。サラリーマンから教員に転職した男です。

 

子供の頃からの「学校の先生になりたい」という夢をフルシカトで始めたサラリーマン生活6年目。

社会人生活を積むうちに「学校の先生ならいでか!」の気持ちを抑えきれず、縁を辿って教育業界に参入しました。

社会に出てからちらほらと「日本の教育終わってんZE☆」という意見を聞いていましたが、実際体験してみるといかに日本の教育終わり果てているのかを目の当たりにしました。

 

ということでこのブログでは、日本の教育をどげんかせんといかんとの思いから様々なことを発信していきます。

そのうち吉田松陰ばりのムーブメントが起きればオモシロいと思っていますので応援よろしくお願いします。